ひと啜りの味わい

煎茶

友野園では、寒くとも季節の移ろいに沿い、日々の作業がはじまり、終わり、また次の時候へと渡っていきます。自然の移ろいは時に足早にも進み、また戻りつ、いつも暦通りにはとてもいきません。

一家総出のその日の作業を終えると、我が家では、賑やかな夕餉がはじまります。

食事をはじめる前にまず、ひと口、ふた口と、お茶を味わうのは、茶園の主としては、当然というよりも、ひとりでに、また自ずからの習慣でもあり、うん、今夜の焙じ茶はキレ味もよく美味いな、など味わいつつ、ふっと気持ちをほどくのが娯しみです。

……それにしても、こうして食卓にあげられるものを眺めると、日本の伝統文化の豊かさを感じます。例えば、ものの数え方ひとつ取っても、なんと多様なことでしょう。

お茶を飲む湯呑みや、味噌汁などの椀は、客と呼び、箸を手に取れば、それは1膳、2膳と数えます。皿や、トンカツがあったとすると1枚、2枚、その横に添えられたキャベツは玉といい、それを千切りに刻む包丁は、挺とか柄(へえ)と数えるそうです。こんなふうなそれぞれの単位、数え方をする日本のきめ細やかな文化や、言葉の広さには舌を巻き、精確な単位で数えることができないほどです。

もし、湯豆腐や奴など豆腐があるとしたら、1丁上がりの1丁、2丁と数えられています。そういえば、1丁上がりの上がりは、もちろんお寿司屋などでも馴染み深い、隠語としてのお茶の呼び名でもあります。

そしてそのお茶はといえば、一服するとか、急須を使って1煎目を淹れる、湯呑みでひと口を飲むなど。服という呼称には、元は薬から派生した茶薬同源としての歴史的な足跡が残っているようで、いにしえへの興味すら感じます。

さて、夕餉の仕上げに、深蒸し茶をひと啜りすると、すっきりしたうま味が拡がって、奥行きのある、あぁ、実にいい味わいなのです。今日も、ごちそうさまでした。